2007年11月4日日曜日

日がな一日語らう。

今回は朝から晩までミーティングでしたー。おつかれさまです。議論のあとの焼き肉&マッコリがたまりませんでしたね(笑)

いよいよアゴラの準備も佳境です。

WSについての議論のなかで、ふと気づいたこと。研究対象のとらえ方と論点のとらえ方が似ている。
いきものを俯瞰的にとらえている人は、議論を一歩引いて見ているようです。
数学を愛している人は、直球勝負な感じ(笑)
私は個別研究をしているのですが、議論の中でも個別の論点やその間の関係などからボトムアップ的に全体をとらえようとします。

へぇ、いろんな専攻の人が議論するとこうなるんだ。

「研究対象のとらえ方と論点のとらえ方が似ている」って思ったとき、ふと高校生のときに観た「コペンハーゲン」というお芝居を思い出しました。このお芝居は、物理学者同士(ボーア、ハイゼンベルグ)が人間関係について物理用語で語らうというお話です。当時は、「どうしてわざわざ物理現象になぞらえる必要があるんだろう?どうしてムダに複雑に表現するんだろう??」と思いました。でも、今ついつい馴染みのある専門用語を使ってしまう自分に気づいたり(淘汰圧、ニッチ、分注...)、用語だけじゃなくて論点のとらえ方までというと、あのお芝居の設定もまんざら不自然ではないのかな。

用語はともかく、対象のとらえ方は「性格」ありきで「研究姿勢」があとから決まっているのかもしれないけど。
もはや、研究姿勢抜きでは性格を語れない気もするが...

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